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2007/05/23

シアターコクーン「薮原検校」

15日(火)夜、コクーンにて「薮原検校」を観劇。井上ひさしの旧作を蜷川が演出。舞台に綱を張ったりして、蜷川らしからぬ演出と思ったが、これは戯曲に指定されているのだそうだ。

語り手(壌晴彦)の長台詞や、検校(古田新太)の早物語(リズムに合わせておもしろおかしい話を語る芸能)など、力のある役者でないとできない芝居だ。どろどろとした芝居も、うまい役者がコクーンでやると、泥臭さが抜けてしまうがやはり楽しめる。

薮原検校の生い立ちから語られ、あやまって自分の母を殺してあと、師匠やその妻など次々と殺人を犯し、江戸に出て、先代の薮原検校の弟子として、高利貸しの取立て役で頭角を現し、ついにはまたも師匠殺しを計画し、実行。自分が検校の地位につく。ところが、過去に殺したはずの女がまた現れ、それを殺そうとして捕まってしまう。そして処刑。

蜷川さんはどうしても、最後の処刑(三段切りという下半身と首を二箇所切り離すやり方)をリアルな人形で見せてしまうんだな。あのアクの強さが、蜷川たるゆえんだろう。

私の観た日は、壌さんの語りが気持ちつっかえるような気がして、「ひばり」の審問官役の恐ろしい迫力まではいかなかった気がする。大量のセリフという意味では、こちらのほうがたいへんかもしれないが。

ただ、塙保己一(段田安則)と薮原検校の関係がとらえきれなかった。学問と金という、歩む道は違うが盲人の地位を高めようという、連帯感のようなものが生まれた場面があるのだが、最終部で捕まった薮原検校を処刑して人心を引き締めよと松平定信に進言する保己一の心境については、どうしてそのように変わるのか、もうひとつ舞台を見ているだけでは説得力が見出せなかった。

昔の井上ひさしは、こういうドロドロとした話を書いていて、どこかアングラのにおいも持っていたような気もする。「天保12年のシェイクスピア」もリチャード三世の話がメインだが、これも悪を犯してのし上がっていき、頂点を極めたところで、破滅する、というところがやはりリチャード三世だ。

語り手と検校以外の役者は複数の役をこなし、とくに段田の役が次々と変わるおもしろさがあった。蜷川さんの通常の演出にはあまりない、綱を使った空間設定が次々と変わるところ(どちらかというと野田秀樹的だ)や、一人数役という部分が井上戯曲に含まれているために、「戯曲に忠実」という蜷川さんのポリシーが逆説的に蜷川演出としては新鮮なものを生み出していたと思う。でも最後はやっぱり蜷川的だった。。。

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