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2007/03/27

「これがすべてエイプリルフールだったなら、とナンシーは」

東京国際芸術祭の中東シリーズの最後の作品は、世界初演となる、レバノンのアーティスト、ラビア・ムルエによるバフォーマンス「これがすべてエイプリルフールだったなら、とナンシーは」(タイトルながっ)。 中東では、紛争で死んだ人物をポスターにして、その死者が属していた党やセクトのプロパガンダに使うという習慣があるようだ。舞台上のソファーに並んで腰掛けた4人の男女は役名でなく本名を名乗るが、彼らの語りは、レバノン紛争がはじまった1975年から語られ始める。共産党やキリスト教徒やイスラム教徒のさまざまな党やセクトに属した彼らは、自分がどんな闘いをしたのかを語りつづける。

奇妙なのは、彼らは「自分は殺された」というのにも関わらず、さらに次の闘いに出て行くのだ。「そこで私の死体は2ヶ月間放置されていた。それから指令が来て、私は○○地方に配属された」などという。彼らは何度も何度も死ぬ。戦場やテロ、自爆や虐殺で。セクトも様々に渡り歩く。あまりに死ぬので会場からは笑いが起こるようになる。この語りにあわせて、彼らの頭上にあるモニターには、死者を喧伝するポスターがさまざまに表示される。それらは実在した死者のポスターを、出演者の写真に入れ替えたものだ。

90年の内戦終結の後、2006年のイスラエルの侵攻、そして2007年初頭の事件まで、彼らの語りは続けられる。彼らは生きているのか、死んでいるのか。役者が去った終幕に、本物の死者たちの写ったポスターが何枚も続けてモニターに映し出される。

以前見たムルエの作品よりもずっとわかりやすく、ユーモラスでもあったので、2時間のたんたんとした語りと映像のみのパフォーマンスも見てよかったと思わせるものだった。何よりも、この作品にそそがれたレバノンのアーティストと、共同製作した東京国際芸術祭スタッフの、気合いとエネルギーが感じられた。彼らの「思い」に応えたくて足を運んだのは正解だった、と思う。

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