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2006/08/24

8月ここまでの観劇 その2(「さすらい」「血の婚礼」「小金井薪能」)

燐光群「さすらい」を18日の夜、観劇。「Space雑遊」は先日(蝶のような私の郷愁)とは全然違う舞台の作り。舞台が真ん中に廊下みたいに細長く、客席は両側から挟むかたち。

坂手さんの昔の作。昭和の終わった日から、大喪の礼の日までの、幻想のような旅。難解だった。2時間10分休憩なしは結構つらかったな。「銀河鉄道の夜」の構造がどこかに響いているような気もしたけれど、パンフには、ヘッセや有島武郎やその他何人かの文学者の名前や作品が「参考にした」と記されていた。いかん、ちょっと勉強不足かな。

それにしても昨年観た「戦場のピクニックコンダクター」もそうだが、坂手さんの昔の作は難解だ。野田作品は難解であっても結構ついていけるのだがこの違いはなんだろう。笑いの要素、言葉遊びの要素。身体の要素。そして野田演劇の方が構造がはっきり見えるということ、あたりだろうか。この日は台詞のカミが多かった。内容にもついについていけないまま、どっぷり疲れて終わる。

21日、昼。気になっていたがチケットをとっていなかったTPTの「血の婚礼」。当日券でぎりぎり入場、ありがたいことに空いた席に放り込まれ前列で観た。フェデリコ・ガルシア・ロルカ。スペインの大詩人の名は以前から聞いていたが、劇作を観るのははじめて。

白い布を使った空間処理も面白く、美的な空間を作り上げていた。役者の中では花婿を殺されてしまう母の板垣桃子と花嫁役の宮菜穂子がよかった。特に板垣は際立っていた。

ただ、なぜ花嫁が昔の恋人と婚礼の日にかけおちしてしまうのか、その内面はそう単純ではなく花婿を愛して結婚生活を望んでいるようでもあり、以前の恋人を自ら誘惑したようでもある。この内面の矛盾は矛盾のまま放り出されてあるし、母親の怒りも迫力はあるが、ぶち切れる訳ではない。血の婚礼といいつつ、殺戮の場面も省略されている。

これは一種の歌舞伎、様式美の世界なのかな、と感じた。鶴屋南北の世界などはもう少しグロテスクだが・・作がロルカで、台本として日本人の名前があった。原作をどのように戯曲化したか、が興味深い。

続いて、招待券をいただいた小金井の薪能へ。東京横断。小金井公園の野外舞台。野村萬斎の狂言と津村礼次郎氏の能。案の定遅れて途中入場となってしまったが、狂言の途中から観られた。小雨まじりになったせいか、かなり早めに終了。バスと電車、タクシーを乗り継いで最短距離で帰った。

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