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2005/09/14

世田谷パブリックシアター『敦 ー山月記・名人伝ー』

5月に再演された『まちがいの狂言』などで、古典芸能の方法論と世界観を基盤に新たな現代劇の可能性を追求している狂言師野村萬斎が、世田谷パブリックシアターの芸術監督としては初めて演出に取り組んだ作品。昭和初期に異彩を放った作家中島敦の、「山月記」と「名人伝」を素材にしている。一幕が「山月記」で二幕が「名人伝」。ほぼ原作の漢文調のテキストをそのままに使用し、前者は能の方法、後者は狂言の方法をもとに演出されている。印象的なセットは両者とも同じだ。

観劇日 9月8日(木)14:00開演
上演時間 約2時間(20分の休憩を含む)

巨大な三日月が舞台になっている。三日月の陰の部分は、二階席からは水が張ってあるのか、と見まごうばかりの黒い光沢のある素材。ここにベンチほどの黒い台がおかれて機織り代やら、絶壁の上の岩やら、様々な装置として使われる。舞台の両端には、尺八の藤原道山(上手)、太鼓の亀井宏忠(下手)が控える。開演前にはバックにこれまた巨大な中島敦の肖像写真(高校の教科書でよく見た牛乳瓶眼鏡のヤツである)が掲げられている。この中島敦の略歴の朗読から舞台が始まる。

「山月記」は、高校の教科書に長く取り上げられていたので、高校生の時にも読んだし、教える側になった時もある。しかし、授業で取り扱いながらも、なぜ主人公が虎になってしまうのか、その理由が判然とせず、心の底では不可解な小説だと思っていた。が、あふれる才能と意欲を持ちながら、持病のために一教師のまま若くして亡くなった中島敦の生涯をその前に置かれると、これは確かに作家の自己像なのだという解釈に誘導され、いかにも腑に落ちる。

山月記の登場人物はただ二人。高名な詩人を目指しながらついに願いが叶わず発狂して虎になってしまう李徴(りちょう)は野村万作。若くて性格の悪い自信過剰の男のイメージとは少しかけはなれているか、と気になる。虎と化した後も、顔に多少のメイクをしたうえぼろぼろの衣装となって出てくるので、怖いというよりなんだか可愛らしい虎である。このへんは物語が寓話であるため深刻になりすぎないようにとの愛嬌であろうか。ただ、能の作風に近づけたいなら、面を使って処理するということも可能だったのではないかとも思う。(まあ写実的な虎の面だとそれこそタイガーマスクになってしまってさらにおかしいかもしれないが。)

虎となった李徴にであう往年の友、袁サン(えんさん、ですが、サンの漢字が出ません、慘のへんがにんべんになっている字)には石田幸雄。面白いのは、語り手としての中島敦(野村萬斎)がポートレイトそっくりの出で立ちで登場し、語りを続けるだけではなく、他にも三人の中島敦たち(深田博治、高野和憲、月崎晴夫)が現れ、袁サンの供回りを演じたり、対話のように言葉をひきついで語りに重層性を持たせたりする。このアイディアがかなり効いていて、演題を「敦」としたことの意味がよく分かる。萬斎は、中島敦という作家の内面の葛藤を描きたかったのであろう。舞台照明は暗めであくまで美しい空間である。虎となった李徴の咆哮を「敦たち」が次々と繰り返していくシーンが印象的だった。

二幕は「名人伝」。こちらは打って変わって、狂言の手法を用いて、滑稽な仕上げになっている。天下一の弓の名人になろうとした、紀昌という男が飛衛という師について、いかにも滑稽で大げさな「ありえない」修行を積んでいくと言う話だが、後半、紀昌がさらなる修行を求めて、甘蠅(かんよう)老師のもとに行き「不射の射」という奥義を極めていくあたりから話がおかしくなる。修行を終えてかえってきた紀昌はたえて弓を持つことがなくなるが、弓の名人であるという高名だけは人の噂によって高くなる。最後には本人が弓をみても何の道具かわからなくなったという話。相変わらず「敦たち」が常時舞台に立つ。

この作品も中島敦の中では大好きな話なのだが、舞台にするとすれば、矢の飛んでいく様子をどのように表現するかが難しいだろうと予想していた。名人の放つ矢は驚くべき精度で「ありえない」ことを起こしていくのだから。こうした弓矢のシーンは、バックのスクリーンに映像を映すことで処理していたのだが、本当の矢を出すのではなく「矢」という漢字を出して処理していた。これがなかなか面白い。うまく言えないのだが狂言の持つ、一種のいさぎよさというか、けれん味というか、いかにも狂言を知り尽くした萬斎ならではの手法であって、これも矢の映像そのものであったら面白くなかっただろう。「矢」だけではなく「虱」や「鳥」など、登場する事物も漢字の映像で処理されていて笑いをとっていた。

またこの二作品を並べることによって中島敦の作品の類似性(何かを極めようとする男の物語)と対照性(かたや絶望して虎になるが詩を忘れられず、かたや道をきわめて技を忘れてしまう)を際立たせるという対比の妙も考えられている。能/狂言の手法を駆使して、中島敦というすぐれて現代的(モダン)な作家の作品を、舞台として成立させた萬斎の才能は素晴らしい。さまざまな引き出しのある人だと改めて思った。ただ、二幕の「名人伝」の最後に、もう一度、中島敦の述懐を示して、全体を「人間とはいったい何者なのか」というアイデンティティーの問題として、提出したのはどうか。私はそこは少しこだわり過ぎでうるさく感じた。前半の敦の生涯から「山月記」にはするっと入れたのだが、「名人伝」は、かなりひいた視点で語られる乾いた作品だし、紀昌の最後の様子は名人を極めたのか否か相反する解釈を与えることのできる幅がある。そこを一つの結論に持っていってしまうのはやや興ざめだった。これだけすぐれた作品世界は作品世界のまま、余計な解釈を与えず提示してほしかった。たとえ演出家自身の最も強い意図がアイデンティティーの問題を提出することにあったにしても。
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「敦—山月記・名人伝—」
[原作] 中島敦
[構成・演出] 野村萬斎
[出演] 野村万作/野村万之介/野村萬斎/石田幸雄/深田博治/高野和憲/月崎晴夫/亀井広忠(大鼓)/藤原道山(尺八)
[公演日程]
2005年9月3日(土)〜15日(木)

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コメント

突然、過去のブログにお邪魔してすみません。
2006年の「敦」の初日を観たものです。
とてもすばらしい舞台でした。とくに万作さんの山月記に感動しました。
パンフ等に昨年との違いに触れ、再演というより再創造と自負しているようでした。
どんなふうにそうなのか、ご存知でしたら教えてください。

投稿: hu_ka | 2006/09/02 22:40

こんばんは。ブログの方も拝見いたしました。今年も12日に観劇予定ですので、観てから違いなどわかればまたあらためてエントリーしたいと思っています。今後ともよろしくお願いします。

投稿: BP | 2006/09/03 01:12

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