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2005/07/31

ク・ナウカ『王女メデイア』

午後7時を過ぎた上野の森の空はすでにほの暗く、あたりを見定めるのも容易ではない。方向だけをたよりにあてずっぽうで歩いていくと、広い道路の向こうにそれらしき建物の影が見えている。東京国立博物館本館。昭和初期に作られた巨大な和洋折衷の建築物である。ここの一室(特別5室)が会場。ドーム風の天井の高い、石壁に囲まれた場所である。

観劇日 7月27日(水)19:30開演
上演時間 約90分程度(休憩なし)

エウリピデスの「メディア」は、5月のコクーンで蜷川演出・大竹しのぶ版をみているわけだが、これだけ違ったものにすることができるのか、と驚いた。ただし5月にみておいたおかげで、ストーリーがよくわかっていたため、会場の特長による残響によってかき消されてしまった(とくにコロスの朗唱の部分は残響が激しく聞き取れない)セリフもなんとなく補って観ることができたのはよかった。(大きな字のプリントであらすじも配布されるので安心。)

能舞台のようにせり出した正方形の舞台には、明治期の風俗を写す錦絵がかかれた衝立が三方に立てられている。舞台後ろには、横一線に宴席のようでもあり、義太夫の謡の席でもあるような場所が設けられ、やはり似たような図柄が描かれた大きな傘が立て掛けられている。その後ろは始まってから分かるのだが実は打楽器などが置かれ演奏される場所である。

開演前にすでに舞台下手に、浮浪者風の老婆があらわれ、この老婆は全ての物語を見届け、カーテンコールが終わってもその場に残り続ける。配付された資料とパンフによれば、演出の宮城氏はこの老婆を2500年生き続けているメデイアその人であるとし、初演の劇評を転載している長谷部浩氏は、すべてを相対化する「傍観者」とそれを呼んでいる。

やがてスタッフが衝立をはずすと、紙袋を頭にかぶった女中のような和服の女たちが自分の顔写真を手に持って立っている。そこに談笑しながら入ってくる黒い服の男性たち。「王女メデイア」の登場人物の役柄をふられると、女性を選び、その紙袋をとって、その役の準備をするように命じる。やがて男たちは宴席に座り、義太夫を語るようにメデイアの物語を語り始める。

配付された簡易なパンフに詳しいが、宮城氏はこのギリシャ悲劇の舞台であるギリシャの「コリントス」とメデイアの出身地であるアジア(黒海東岸の「コルキス」)との関係を、デモクラシーと合理主義によって先進国となった男性原理の国と、もともとは文明の源流でありながら、神秘主義と女性原理を持ったまま、開明していない国という関係として読み取り、前者から後者への抑圧・差別の物語ととらえ、明治日本と朝鮮国との関係として再構築したのだ。世界各地で上演されてきたク・ナウカの代表作とのこと、東京では三演目となるようだ。

なるほどこの発想はひどく面白いし刺激的で有効性がある。長谷部氏もすでに指摘しているが「井戸に毒を入れた、などといいがかりをつけられる」という冒頭のメデイアのセリフ(関東大震災時の朝鮮人差別のデマ)などがギリシャ悲劇の中でありながら、するっと腑に落ちてしまうところがある。宮城は注意深く、原作にはあるアテネ王アイゲウスがメデイアの庇護を誓うエピソードを省く。この上演のメデイアには、逃亡先の保護は保証されてはいないのだ。

この構図がさらに、Mover(演じ手)とSpeaker(セリフの語り手)を分けて演じるというク・ナウカ独特の二人一役の演出法によって浮き彫りにされる。この作品では、メデイア・イアソン・クレオン王などすべての登場人物のMoverが顔を隠されて立っていた女性によって演じられSpeakerが冒頭に現れた男性たちになるのである。男性によって女性が操られ演じさせられているという男性支配の構図である。メデイアのMoverを演じる美加理の衣装はチマチョゴリをイメージするものである。夫のイアソンに従順に茶を運ぶしぐさを見せながら、Speaker(阿部一徳)の語る、恨みに満ちたメデイアのセリフを身体に通しているところはいかにも家庭の中で忍従を強いられた女性を体現しているではないか。

舞台装置は巨大な剣を思わせる柱が下手側に。この柱には至る所に法律書と思われる本が刺さっている。最終部、メデイアの怒りとともに、この法律書はばらばらと落ちてしまう。剣=軍国主義、法律書=法規・言葉・ロゴスによる統治、そして男根(男性原理)の象徴。アフタートークの宮城の言葉によればこの柱は単なる男根ではなく「猿のペニス」を意味しているそうだ。(猿のペニスには棘がついていて一度挿入すると抜くことができない、とのこと)舞台に敷かれているのは大きな日の丸であることも一目瞭然である。

この構造自体が最終部、メデイアの子殺しをきっかけに、すべてひっくり返される。メデイアは真っ赤なワインドレス姿となり(初演では白いドレスだったようだ。どこから変わったのだろう)、Speakerをも殺してしまう。のみならず他の女性Moverも同じ赤いドレス姿となり、それぞれのSpeakerを殺してしまうのである。女性原理の男性原理への反逆。逆転。

迫力のある展開で、思わず見入ってしまう結末であり、カタルシスもある。しかしある意味、あまりに明白でわかりやすいメッセージになってしまっているところが少し物足りない。最終部の演出には今回も多少手が加えられて修正されていたようだ。まるくうずくまった男性spekerの骸に、老婆がそっと軍服をかけるところで暗転。破壊の後の再生への願いがここにはこめられているように感じた。今後はやはりこの先の世界を予見させるものが観てみたいと思う。

それでも、この構図は現代世界にいまだ有効な面もある。たとえば、自分のためにすべてを犠牲にして尽くしてきた妻を捨て、権力者の娘と結婚するという暴挙をとりながらも、自分の行動について非常に合理的になんの疑いもなく説明し説得しようとするイアソンの態度は、非常に腑に落ちないのだが、これをブッシュ政権の中東戦略の説明態度にあてはめてみるとなるほどいまだ現実世界にイアソンは存在すると気づくのだ。

この日はアフタートークがあり、千葉商科大学のお二人の教授(ドイツ演劇の男性と舞踏研究の女性の方、名前失念してしまいました。申し訳ありません)と宮城氏のお話だったが、そこで出た、身体技法、重心の移動の話はとても興味深かった。現在、演劇の場での身体の操作法・あり方について、ク・ナウカほど、技法として真摯に追及しているグループはないと思えた。非常に重要で注目されるべき営みである。

トークを聞いてから会場を出ると午後10時近くなっており、闇の中にライトアップされた博物館も美しく、暗い前庭の池からは蛙の鳴き声が聞こえ始めていた。

ク・ナウカ

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「3つのエクリチュール」へ向けてク・ナウカ『王女メデイア』の原作テクストについては、このブログの特集「ギリシア悲劇を考える」でも、[vol.1]・[vol.2]・[vol.3]と3つの観点から読んできましたが、ク・ナウカ版には興味深い改変が施されながらも、「メデイア」のエッセンス... [続きを読む]

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