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2005/02/20

ク・ナウカ『ぼくらが非情の大河をくだる時』

シモキタ、という響きが青森県を連想させてしまうほど、寒い雨の降る土曜日の夜。はじめて見つけたカフェで暖をとったあと、スズナリに向かう。劇場内もそこはかとなく、寒い。

観劇日 2月19日(土)19:00開演 D列
上演時間 約1時間5分

利賀演出家コンクール2004で最優秀演出家賞を受賞した仲田恭子の演出で、清水邦夫が72年に書き、74年に第18回岸田國士戯曲賞を受賞した作品の上演。「政治の季節」、「連合赤軍事件」など当時の社会を色濃く反映した戯曲だが、配付されたク・ナウカの演出家、宮城聰と仲田の対談によれば、宮城は同作のセリフの美しさを保ちながら、ウェットな感情を排除して上演できる演出家として仲田に注目したとのこと。

観てから一昼夜たったけれども、考えは簡単にはまとまらない。あらかじめ読んでいなかったこともあり、戯曲の内容も理解できなかったし、配付されたキャスト表や対談を、後で読んで理解した「少年院での劇中劇」という演出の趣旨も、観ている間は理解できなかった。

そこには仲田自身が「バラバラに」扱ったという、解体された日本語の声と抑揚があり、宮城の目論み通り、何かの感情を載せることは不可能だったのみならず、意味すら見出せなかった。聴いているうちに、声と言葉だけがそこに響きながらもまったく何ものをもさししめしていない真っ白な意味の空白を体験していた。

対談を読むと仲田は、空間の扱い、ということに強くこだわりをもっているように思えた。たしかに彼女の演出は、演劇を一種のアートオブジェ、あるいはインスタレーションのように見せているのではないか。その空間に入ることによって、さまざなま角度からその空間とそこに設置された対象をを鑑賞し、出ていく場所としての。

最後に「兄」が最前列の観客を二人連れて、舞台横に突然空いた出口から出ていってしまう。終演後、スタッフがそこからも帰ることができる、と告げ、何人もの観客がそこから出ていった(自分は傘立てに傘を入れてあったので通常の出口から出た)。

印象深かったのは、「詩人(弟)」役の大道無門優也の声。そして彼をはじめ、俳優たちがときどき客席を鋭い視線で指さしながら言う「奴等」。これはすでに「政治の季節」における「奴等」ではなく、設定によれば、少年院の看守等と考えることもできるが、むしろ観客そのものがこの演劇空間を監視する「奴等」なのか。

不尽。

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ク・ナウカ「ぼくらが非情の大河をくだる時」
2005年2月17日(木)〜20日(日) ザ・スズナリ
観劇日 2月19日(土)19:00開演 D列
上演時間 約1時間5分

作:清水邦夫 演出 仲田恭子
出演 大道無門優也 中野真希 大内米治

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フラットに、すがすがしく 1972年、清水邦夫が書き、蜷川幸雄が演した『ぼくらが非情の大河をくだる時』は、「時代」という名の神話に包まれてきた。それは、上演それ... [続きを読む]

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