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2005/01/12

トーキョー/不在/ハムレット

シアタートラムにて。なぜ2時間50分休憩なしというキツイ上演時間なのに開演が19:30なのだろうか。まずそのへんから疑問。内容は? うーん、演劇・映画・文学オタクの芝居、とまで言ってしまうのは酷だし、存在感のある女優さんや、面白いシーン、特にニブロールがからんだコンテンポラリーダンスの動きは新鮮だったんだけど、どうもそれらワークショップで作ってきたさまざまなアイディアの寄せ集め、表層のみの戯れ、って感じがした。まあそれこそが現代の東京/地方を含めた日本で、それを表現したかったといえば成功作なのかもしれないが。特に隠れキリシタンと天皇制の扱いが不明すぎる。

「ハムレット」の出てこない「ハムレット」の物語が、基本としてある。それらは登場人物の名付け、および家族関係から類推できる。しかし「ハムレット」にはまったく登場しない一家も現れる。ハムレットに当たる人物「牟礼秋人」(むれあきひと)は様々な事件を起こすが最後まであらわれない。この芝居、ハムレットを知らなかったから見るのがさらにつらかっただろう。

その他、ハムレットの端役を主人公にした現代劇「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」の視点が取り入れられたり、ベケット「ゴドーを待ちながら」やマリネッティ「未来派宣言」などの断片が引用されたりする。自分が気づくものは拾えたがそれ以外にも様々こうした「引用」はあったにちがいない。しかし、それらはよほど知見の広い者でなければ、ニヤリとはできないだろうし、ましてやそれやに込められた意味などしるよしもない。

そして埼玉県の「北川辺町」の発見。東京から中途半端に離れた何もない田舎、どん詰まりの町の若者たち。阿部和重の小説「シンセミア」の影響があるというが読んでいないためよくわからない。ただ、「関東平野の隠れキリシタン」という実在する著作によれば隠れキリシタンが関東で最初に現れた場所だということで、オフィーリアにあたる「杜李子(とりこ)」の家族が隠れキリシタンの系譜であるということになっている。

この「松田」家が隠れキリシタンであることは芝居の冒頭で伝えられた祈りの文句「あんめいぞうすまれや」がセリフと映像にあらわれることによって示され、後半部、杜李子が自死するに至っていかにも大仰に明かされるが、いったいキリシタンであることと杜李子の自死、あるいは牟礼秋人との関係、兄との近親相姦などの設定とどうつながるのか、全くわからなかった。ただ、ショッキングな事実として扱われていることだけしかわからない。しかしなぜ?物語の必然性にちっとも響いてこない。

また牟礼秋人の「秋人」は「明仁」であり、天皇を示しているらしいが、だからなんだというのか、そこがわからない。天皇が不在でありながら日本に偏在し柔らかな権力を持つ、ということをこの名前にこめて示したいらしいが、これも名前を一つつけただけ、という感じで、劇構造の中では全く浮かび上がってこないし、このことについては販売していたブックレットを後日読むまで気がつかなかった。

個人的なことだが私の成育した地は、北川辺町(当時は村だったかな?)と同じ教育区(というのかな高校に進学しても良い範囲=学区)に属していた。北川辺は東の端でうちは西の端だったから気軽に行ける範囲ではなかったが、確かにあのあたりの利根川流域の水田地帯の雰囲気は良く知っている。そして確かに今のあのあたりには、「しょぼいっすね」という冒頭と最後のつぶやきで示されるような一種の閉塞感(特に一度東京に出てから戻ってみるとそれを強く感じる)、無力感があるだろう。昔もそういうところがあった。

その雰囲気は多分伝わってきた。あるいは自分が自分の経験を引用してしまったのかもしれないけれど。それでとにかくイヤな気持ちになった。確かにあのあたりの滅びて力を失っていくような感じ(そういえば田山花袋の「田舎教師」の舞台でもある)にさいなまれてしまったからだ。作者がそれを意図したのならそれは成功だろう。しかし、一日の仕事を終えて疲れた身体と精神をひきずってわざわざ観に行くべきものではなかった。

方言指導は多分いい加減だ。あのあたりの言葉を真似てはいるが、ことばのイントネーションは出ていない。もともとあのあたりの方言地図は複雑に入り組んでいて、部落や市町村ごとにかなりの差があるのだ。そうした軽薄な「外部の目」だけで「北川辺町」をとらえてそこに生きる人の生活を限定してほしくない、という気持ちにもなった。実際住んでいる人にこの芝居は見せられるのかな。近親相姦や殺人・自死・放火などしか起こらない場所として自分の住む場所が描かれたとして。(追記・阿部和重の「シンセミア」は山形県の神町という実在する阿部の出生地を舞台としているとのことがアマゾンの読者レビューをみてわかった。阿部の場合は出身地だが宮沢の場合はそうではないだろう。その意味でもっと罪は深い。)(さらに追記:宮沢氏の「不在日記」を読んでみたら、北川辺町在住の方から感想メールをもらっているそうだ。感謝、興味深かった、とあるのだから、よかったという感想なのだろうか。劇そのものというより町に住む者としての感想、とある。どのようなメールが送られたのかその内容に興味を持った。私のようにイヤな感じはしなかったのかしらん。)

またまた個人的な好みだが、「松田杜李子」役(田中夢)と「風俗店の女」役(伊勢由美子)の二人の女優さんが目を引いた。演技が単調に思えるのは映像系の演技になれているからではないのか。だが「杜李子」は存在感があり、「風俗店の女」役はくるくる変る表情が魅力的だ。

映像と演劇は似て非なるものだ。あるいは全く違うものといってもよい。しかし、この作品のワークショップを一年間続けながら、同じテーマで映画もとっていたようだ。会場にはそのDVDが売られていた。インテリ映像作家の趣味演劇。そういうことなのかな、と感じる。多くのシーンは、すき間のある壁で仕切られた舞台奥のよくみえないスペースで演技され、それをビデオカメラで撮って舞台の上の大型スクリーンに映し出されていた。確かに舞台上の「不在」。多くの現実がメディアを通してしか伝わらない。現実は「ない」ということはよく表現されていた。

さまざまな意味で演劇の死を表現した演劇といえるのかもしれない。しかし演劇は死んではいない。

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遊園地再生事業団ニブロール
「トーキョー/不在/ハムレット」
作・演出・美術 宮沢章夫
作曲  桜井圭介
演出協力 矢内原美邦(ニブロール)

出演
大河内浩 伊勢由美子 岩崎正寛 笠木泉 片倉裕介 上村聡 岸建太朗 熊谷知彦 佐藤一晃 柴田雄平 鈴木将一郎 田中夢 南波典子 渕野修平 三坂知絵子 山根祐夫

東京公演 2005年1月9日(日)〜1月23日(日)
(観劇日:1月12日(水)19:30開演 G列右ブロック)
Sept会員割引で4000円 
1000円のブックレットあり。関連の小説本、ビデオも販売。

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