« 新国立劇場オペラ・マクベス | トップページ | 【放映】走れメルス・ロミジュリ・鈍獣 »

2005/01/21

野田地図第10 回公演・走れメルス(5回目)

また行ってしまった。とは言っても今回のは先行予約でとって最初から行こうと思っていた回である。カメラが入っていたのに前半かんでしまう役者さんが何人か。録画の緊張感だろうか?
(今回より、実際の観劇日と投稿日の日付は別にしました。)

今回は4列目中央ブロックという近い席。だが前列に体格のよい方がいて若干つらかった。野田大奥様が投げる福引券は客席前列まで落ちてくるが、終演後、係りの人が拾い集めていた。もって帰ろうとする人には「回収していますので」と声をかけていらっしゃった。たいへんですね。

何回もリピートしてみると、「女性の老い」あるいは「女の一生」というテーマが強くあることに気づいた。初期の野田演劇のモチーフとしては「少年」があるといわれてきたが、この「走れメルス」では、少年というテーマはほとんど見られず、「母の母の母」「ママのママのママ」という世代の繰り返しの中で、青春を夢見て、夢見ているうちに老いてしまい「3本の白髪と97本の皺」を持つという「宇宙開闢以来の真理」、「人間はくたばるものだってこと」が、芙蓉を中心に強調されていると思う。こういう悲しさを深津絵里という女優が実年齢的なものも含めて本当に切なく豊かに表現していてくれると思う。

スルメ勘太郎はどんどん目が寄ってきた。「失語のダンディズム」(如月小春)に到達しそうだ。

「向こう岸」がメディアの世界であることの強調。角川文庫の戯曲と今度の戯曲を比べてみると、「セメント工場」が「集積回路工場」に変わり、芙蓉の「死んでみようよ、ちょっとだけ」の場面が加筆されていることに気づく。パンフの対談でも言っているが、ここはネット心中のイメージのようだ。芙蓉の大事なアイテムである鏡台が、最初に見た回からパソコンの液晶モニターに見えて仕方がなかった。小さな窓から虚構の世界を覗く。三人娘が最後に持っている手鏡は携帯に見える。

メルスと零子の戦艦のシーンはもっとも好きだが、この勇ましい大日本帝国の艦隊は、歴史的にはすべて海の藻屑となったんだとこの回を観てやっと気づく。「こちら岸」へたどり着いたときにはメルスは力を失ってしまう。なぜなら「メルスなんて最初からいないのよ」。

もう一つとても好きなのは、「カラカラカラカラ・・パタン」の深津さんの言い方。切ない。
「ミドリ」から「キイロ」への変化を一息で言うところは超絶技巧。
りんご投げ失敗して、今日は客席から「がんばれ」の声がかかる。

福引のシーンで、メルスが追っていくがすり抜けていってしまう零子。
百太郎をぐるぐる回す大奥様。

印象的なシーンをあげればキリがない。

-----------------------------------
観劇日 1月19日(水)14:00開演

1度目の感想記事はこちら
2度目の感想記事はこちら
3度目の感想記事はこちら
4度目の感想記事はこちら

|

« 新国立劇場オペラ・マクベス | トップページ | 【放映】走れメルス・ロミジュリ・鈍獣 »

「演劇」カテゴリの記事

「野田秀樹」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/15869/2647440

この記事へのトラックバック一覧です: 野田地図第10 回公演・走れメルス(5回目):

« 新国立劇場オペラ・マクベス | トップページ | 【放映】走れメルス・ロミジュリ・鈍獣 »